1883年(明治16年)ごろ、この木下川にできたといわれる皮をなめす工場は、1893(明治26.7年)には、5.6軒でした。その後、皮革なめし工場は、1892(M.25)年の警察令「魚獣化製場取締規則」が制定され、地区が大きく皮革なめしの町として形成されるようになりました。 この規則は、「魚獣ヲ原料ト為シ、油、脂肪、膠、鞣、肥料其他工業材料ヲ製造スル」業者を対象に、市外以外の建設を許さず、市内の業者はM.34年12月31日までに、つまり10年の猶予期限をもって市外への移転を命じられました。

亀岡町、新谷町にあった皮なめし業は、三河島とここ木下川に移ってきました。ここでいう木下川とは、吾嬬町7丁目(現東墨田2丁目)のことです。皮革に直接関係のある油脂業も1889年(明治.22年)に1軒創業し始めています。  骨で骨粉を作り、油を取ったりしました。さらに膠(にかわ)を取ることが始められていきました。


⇒2.荒川放水路ができあがる