においがなくちゃ皮じゃない!
                           東京都墨田区立八広小学校(当時)板橋 正枝

(1)はじめに                            
 東京の革づくりの街「木下川」を学区域に持つ八広小学校は、2003年4月木下川・更正・第5吾嬬小学校3校を統合、誕生して今年で5年目を迎える。墨田区の東端に位置し、近くを荒川・中川が流れている。統合された3校は共に東京都の「人権尊重教育推進校」であった。学校には被差別の立場を持つ部落の子ども・在日韓国朝鮮人・韓国、フィリピン、タイ等にルーツを持つ子ども・障害を持つ子どもたちがいる。また他にも、環境の厳しさのなかで、生活が荒れていく子ども、友だちを傷つけてしまう子ども、学力競争の中で自分に自信が持てない子どもたちの存在がある。それぞれの子どもが抱え持つ課題を、仲間としてどう共有できるか、授業を通して探っていけたらと思う。自分や友だちの存在の尊さに気づき、親の仕事とその生き方を理解する授業創りが求められる。1組の子どもたちは、屈託のない明るさと元気にあふれていた。しかし、総体的にみると授業中の発言は決まった子どもたちであったり、友だちの出方を見て自分の考え、行動を決めようとする子どもが多数派として存在し、自分に自信がない子どもたちが多い様に思えてならなかった。そんな子どもたちの中に、力がありながら自分からの発言が滅多にないAがいた。Aの家は、革でバッグや小物を作る工場を経営している。Aからは家の仕事についての話を聞いたことがなかった。地域には皮革関連産業に対しての差別意識が根強く残されている。木下川に隣接する地域ほど、自分たちは「木下川ではない」ということを強調するために、仕事から発する「におい」を「くさい」と、ことさら嫌い差別的行為の中でその言葉を使ってきた。そんな地域で暮らす子どもたちは、知らず知らずのうちに差別意識が擦り込まれている。子どもたちに「木下川の仕事と人」に出会わせなくてはならないと思った。そして、授業の中で見えてくる子どもたちの姿から提起されることを大事にしながら一人ひとりの子どもたちが持つ課題に迫りたいと思った。            (2)授業の始まり・・・豚皮原皮との出会い 
 子どもたちは、Aも含めて自分の身近に革がありながら革について詳しく知らないで過ごしてきている。この授業で、Aには革があってこそ自分の家の仕事が成り立ち生活があるのだということを認識し、革がどんな仕事を経て生産されているか知った上で自分の家の仕事に誇りを持って欲しいと思った。他の子どもたちには、自分の生活の中でいかに革が豊かさをもたらしてくれているかを考えさせながら「皮から革にする仕事」「革を活かす仕事」に出会わせたいと考えた。その道筋が木下川との出会いなのである。子どもたちには運動会で果たす「太鼓」の役割に着目させながら、総合的な学習で「太鼓」ができるまでの学習をした。そして、木下川で生産される豚の生皮を使って学習の中でわかったことを実際の体験を通して本物にして欲しいという願いを持って「太鼓作り」に取り組んだ。授業は豚の原皮の観察から始まった。子どもたちの前に横たわる豚一頭分の原皮。「これは何?」という問いかけに子どもたちはすかさず「豚の皮」と答え、「においでわかった。」と自信満々だった。原皮を観察し、豚はどこからきたか、どんな仕事から生皮になるのかなど、大きな和太鼓や元木下川小学校の資料館から借りてきたニベ取りの道具も提示して考え合った。                                                                          ◎ 豚の原皮は何回も見たことがあるけど、今日見た豚の原皮はちょっと大きかった(A)
◎ ドキドキ。今日先生が皮を見せてくれた。一目みたしゅんかん「毛だらけだ。」と思  いました。とっても、くさかったです。でも、前にたいこがあると、この皮がこんな  皮になるんだなーと思いました。                                                                子どもたちは、原皮から放たれる「におい」に敏感だった。誰もがその「原皮」を「くさい」と言っていた。Aは家で原皮を見る機会があったんだなということがわかった。でもこの授業の時にそのことを出してはくれなかった。なぜ、出せなかったのか。友だちが「くさい」と言っている中では「見たことがある。」とは言えなかったのだと思う。
★「原皮のにおいは、当たり前のにおいだよ。しょうがないじゃん。」
 みんなで原皮を観察した次の日の授業で、観察して気づいたことを再度出し合い、自分の考えを確認することにした。自分の立つ位置を一人ひとりの子どもたちが自覚している必要があると思ったからだ。子どもたちは、率直に自分の思ったことを出してくれた。
◎ 原皮はくさかった。         ◎ きらい。かぎたくない。 
◎ 好きなにおいじゃない。       ◎ すっごくくさくてゲロはきそうだった。◎ マスクしたい。           ◎ 近寄りたくない。 
子どもたちは言いたい放題。差別的でもあった。そんな中で、Bが、友だちの意見を聞きながら「その臭いは、豚の臭い。原皮のにおいは当たり前の臭いだよ。しょうがないじゃん。」と発言した。Bは、いつも学習に集中せず、自力で解決できない問題にであうと考えることを投げだしていた。そのBが感情をあらわにしてみんなに訴えた。クラスの子どもたちはあっけにとられ驚いていた。クラスの誰もが原皮の「におい」をそんな風に思えないでいたことと、真剣に自分の考えをみんなに発表するBを初めて見たからだった。Bは、本人の努力如何によって解決できないところで差別するなよということを「しょうがないじゃん」という言葉で表していた。私は、Bの「根っこ」にある人としての優しさを見つけた様な気がした。Bの発言は、以後クラスの子どもたちの新しい視点になっていく。勉強が苦手なBは、今まで友だちとトラブルを起こしながら被害者意識を募らせ攻撃的な一面を見せていたが、この学習での発言から友だちから見直され、認められ始めていった。太鼓作りでは、友だちにフォローされながら、やっと太鼓を完成させたB。毎日太鼓をたたいて音を確かめる。その嬉しそうな顔。いい顔だった。
(3)においを考える  
 太鼓作りのあと、「原皮」を腐らない革にする「鞣し」の学習に入った。学校の洗濯機で皮を鞣したあと、地域の皮工場見学。そして、「革を活かす仕事」であるAの家の工場見学も計画していた。洗濯機で皮を鞣すには、洗濯機を廻し続ける子どもたち一人ひとりが繋ぐ時間が大切だった。皮鞣しが始まると「におい」がしてきていた。「原皮」が洗濯機の中で薬品を入れる度に変化することには「すごい」と驚きながらも、仕事から出る「におい」を「くさ~い」と言い出す声が聴かれ始めた。Aはどんな気持ちで友だちの反応をみているのか気になった。一週間で学校での「皮鞣し」の第一段階は終わった。次いで皮革技術センターに「水絞り・分割等々」の仕事をお願いした。何日かして革は学校に戻り「再鞣し」の作業が始まった。この後には、隣りのクラスの子どもの祖母が経営する地域の皮工場見学が迫っていた。その前に「におい」について子どもたちの認識を確かめなければならない。
★「働く人を傷つけるので、くさいとは口に出さず心の中で思います。」
 「原皮や皮鞣しの仕事でにおいがあるのはホントだよね。だからといって、そのにおいをくさい、くさいということは、働いている人にとってどうなんだろうか。」と子どもたちに提起した。Aは『みんなが、くさい、くさいって言ってると、私の家はかわをあつかっている仕事をしているから悲しくなる時もある。でも、かわは動物のかわだから、くさくてあたりまえって思う時もある。でも、わたしがそう思ってもかわをあつかっているお父さんは、どう思っているんだろう。あまりそう考えたことがないからちょっとわかんない。お父さんは、悲しいって思ってないと思う。』と感想を書いてきた。「くさい」と友だちが言う言葉に傷ついていた。しかし、父親の普段の仕事振りから、「悲しんでいない。」と思おうとするAの健気な姿が見えた。「原皮のにおいは、くさいと思ったけどクロム鞣しをしたからにおいにはなれた。」と言う子どもも多かったが、私は、「働く人を傷つけるので「くさい」とは口に出さず「心の中」で思っている。」と感想に書く子どもたちの存在が気になっていった。この子どもたちは「におい」のみに執着し、仕事が見えていない。実際に働く人との出会いの中で仕事を考えさせる必要性を強く感じた。
★ 「においがなくちゃ皮じゃない。」 
 皮工場見学の日、子どもたちは学校での「皮鞣し」と、工場での「皮鞣し」はどう違うのかと楽しみに出かけた。着いてみると「ぼく、ここで2年生の時遊んだ。」という子どももいた。豚と違って大きな牛の革を鞣すドラム(タイコ)の大きさに目をみはる子どもたち。従業員の方は、仕事の手を止めて仕事の説明を詳しくていねいにして下さった。その説明は少し難しかったけれど、子どもたちに、仕事をわかり易く教えようとする一生懸命さが伝わるものだった。皮工場で働く人を身近にも感じることができた。見学は楽しかったようだ。見学翌日、子どもたちと「働く人が傷つくのでくさいとは口に出さず心の中で思っている。」ということについて考え合った。考えを聞くと、ほとんどの子どもは黙っていた。何も言えないんだなと思った。工場で働くおじさんは、良い革に鞣せた時が一番嬉しいと言っていた。そして、水槽の水につかって一生懸命革を踏むおじさんの姿を見てきた。革に関わるおじさんは、真剣だった。課題を考える時、そのおじさんの姿が目に浮かぶのだと思う。見学では、メモをとり真面目に話を聞いて頑張った。その姿から、皮鞣しの仕事をわかってくれる子どもたちだと思って下さったに違いない。それが心の中では、その仕事を嫌うことに繋がることを考えている。おじさんたちの失望を予想する子どもたちは、どう考えたらいいのだろうと悩んでいた。沈黙は続く。「こんな事考えたことないでしょっ。」と言う私に大きく頷く子どもたち。私は、そんな子どもたちに「自分と友だちの関係に例えて考えてみると分かり易いと思うよ。例えば、目の前の友だちと仲良くつきあっている風にみえているけど、ホントは心で君のことなんかキライだけどねと思ってつきあうことに、にているかもね。」と言うと、ようやくヒントを得て考えを書き始めた。そして、子どもたちの発表。一番最初に発表したCは、
『 今日、みんなでかわのことについて話し合いました。ぼくは、においは、ちょっとク サイ。でも、Bさんが「でも、しょうがないじゃん。だってこのにおいは、ぶた・うしのにおいなんだから。しょうがないじゃん。」と言ったことを思い出すと、ちょっとしょうがない。でも、たしかに、このにおいは、牛・ぶたのにおいだからくさくったってしょうがない。だから、そのにおいがなくちゃ、かわじゃない。そのにおいは、大切だと思う。ぼくは、今日そう思った。』 
 Cは、「そのにおいは大切だと思う。」と発表した。私はCに向かって「あなた、においをそんなふうに思えるんだぁー。」と思わず言っていた。Cのその感性に驚いた。理屈抜きでそう実感できる子どもに大人は負けていると思った。Cがそう思い至るにあたっては、やはり、Bの視点が大きかったと思う。子どもたちどうしの信頼関係を土台として共感はうまれるものだと思った。Cの認識の変わり目をBが作った。Aも『私はもうこのにおいはなれているから大じょうぶ。でも、私の家の革のにおいとはちがうから、ちょっとだめ。さいごに・・・やっぱり革はにおいがなきゃ革じゃない。やっぱり革はにおいがひつよう。革は革らしく。』
 と、自分の考えをまとめていた。Aは何かがふっきれたかなと思った。革にはにおいがあっていい。「革は革らしく」という言葉に込められたAの気持ちは、Cのその気持ちと重なっていた。この授業は、Aの家の工場見学で締めくくった。Aは、父親が高級なバッグを造る技術を持っていると知って、クラスの友だちのあげる歓声を聴いてちょっぴり嬉しそうにしていた。                              (4)まとめにかえて
 皮革産業についてまわる「におい」の問題。そのことにこだわって子どもたちと「皮鞣し」の仕事について考えてきた。答えは、一人ひとりが考えて出すものである。自分が出した答えはどんなものであっても貴重である。先ず考えた、考えられたということに意義があると子どもたちに伝えた。ただ、自分が出した答えについては、いつも「これでいいのかな?」と省みることが大切であるとも伝えた。私は、この授業の中で出会えた子どもたちの姿を信じる。教える側にだけ立っていたのでは、本当の子どもの姿には出会えない。教師もある種の緊張感を持って、子どもにつきつけ、その価値観を揺らし本音が聞ける授業創りに挑みたい。私にとってそれは、真摯な気持ちで子どもたちの抱える課題に向き合い、子どもの心に真っ直ぐ届く授業創りを目指していくことだと思っている。