皮革工場・と畜の仕事
―朝鮮第5初中級学校と木下川小学校の合同学習― 東京都墨田区立木下川小学校(当時) 雁部桂子 東京朝鮮第五初中級学校(当時) 朴 希淑
はじめに(雁部)
木下川小学校のある「木下川(現在『東墨田』であるが、古くからこうよばれてきた地域)」は、墨田区の東端にあり、荒川と中川にはさまれた皮革と油脂の工場の町である。全国の豚革の7~8割をなめす皮革工場や関連の油脂工場の多い地域で、周りの地域から「くさい」「きたない」といわれつづけてきた。従来から3割の越境に、数年後に予定されている統廃合が拍車をかけ、木下川小の児童数は50人を割り、3年生は3人になっていた(註:木下川小学校は2003年3月廃校になった)。 担任して間もないころ、明子さんが、「いとこに『木下川小学校ってくさいね』といわれた」と、日記に書いてきた。何もいい返せなかったのだという。誠さんのおばあさんは、長年、皮革工場で働いている。大のおばあちゃん子だ。健司さんは、2年生のとき転入してきた。まだ地域に親しい友だちもできていない。3人だけの学級だが、それぞれがばらばらだった。私は、3人の子どもたちが、自分や地域に自信を持ち、みずからをかけがえのない存在だと感じて欲しい、ささえあい、外に向かって表現する力を培って欲しいと強く思った。それには、子どもたちが問題にぶつかる場面や、自分たちを映し出す鏡が必要だと思った。 すぐ近くに朝鮮学校がある。木下川の子どもたちは、その存在や朝鮮学校の子どもたちがどんな日常を送っているかも知らない。一方、「チマ・チョゴリ引き裂き事件」にとどまらず、近くの八広駅でも、おとなによる朝鮮人児童への暴行があった。民族差別を許さない感性と態度を育てることは、木下川の子どもたちにとってもたいせつな課題だ。人がお互いを尊敬しあって生きるとはどういうことか、自分たちで探ってほしいと思った。
朝鮮学校の学習のねらい(朴)
私が第五(東京朝鮮第五初中級学校)に赴任して間もなかった放課後、どこからともなく「プーン」とにおいがした。子どもたちに「これは何のにおい?」とたずねてみると、「この近くに皮の工場があるんだって。そこから出るにおいらしいよ。」という答えが返ってきた。しかし、子どもたちは、その工場がどこにあるかも知らず、特別な反応も興味も示すことはなかった。私もまた、初めてきく「皮の工場」という言葉に何の感情も問題意識も持たなかった。 朝鮮学校では、小学3年生の社会科の授業は、週に1時間だけである。主に朝鮮の風習や、日本に住む同胞たちの生活、そして地域社会のことを学習する。しかし、朝鮮学校は、いろんな地域の子どもたちが、電車に揺られて、また1時間もかけてスクールバスに揺られてやってくる。地域の人とふれあう機会も、時間もない。 私のクラスの生徒は32人である。いつも笑いの絶えない、活発でおもしろいクラスであるが、物事を深く考えることを拒み、面倒くさがる面がある。個人個人自分の意見をしっかり持っているが、それを口に出すことを恥ずかしがり、文にまとめることを難しがる子どもが多い。また、ほかの意見に流されてしまうことも少なからずある。ソンジンは、自分の意見をしっかり持った子どもだが、自分の間違いを素直に認めることができず、謝ることができない。また、気に入らないといって、オモニ(お母さん)を蹴っている姿を見かけたことがある。ヨンギは、とてもやさしい子どもで、笑いの多い子どもである。しかし、人を傷つけても、みずから悟るということができない面がある。また、どうにか笑ってごまかそうとする面が多々ある。この二人は、特徴的な例に過ぎないが、全般的に、してはいけないことをしっかり身につけさせたいと思った。合同学習を通して、日本の歴史を知り、日本の社会とふれあいながら、自分は朝鮮人だという自己認識を強くして欲しい。そうすることにより、木下川の子どもたちとは、立場は違うとも、共通する問題を理解し、相通ずるものを見いだし、お互いを尊重する態度が養えると思った。
学習の流れ -朝鮮学校と木下川小の3年生の合同学習会は、26時間におよんだ。
アンニョンハシムニカ! 7月15日、朝鮮学校の3年生と担任の朴希淑さんが、私たちをにぎやかに迎えてくれた。日本語とハングルの両国語の手製の名刺を交換した。好きなスポーツやタレント、趣味などが書かれている。自己紹介をしたが、木下川小の3人は「蚊のなくような声」だった。誠さんは、「行く前は、どういう子かと思っていました。行ってみたらすごくにぎやかでした」、健司さんは、「ハングルがいっぱい書いてあってびっくりしました。朝鮮学校の子は日本語を知らないと思っていたのに、知っていたからすごいです」と、感想を書いていた。 「皮革工場の仕事」を一緒に学習するにあたって。両国の子どもたちの興味や関心にもとづいた内容で進めることにした。その学習材料として、ビデオ「一滴の血も生かす」(ドイツの農家で、豚を殺して肉やソーセージをつくる作業)をみて学習課題をつくることにした。「豚の革でできているものは」「革はどうやってつくるのか」「豚は、どこでと畜するのか」など、12の項目にわたった。このビデオを上映しているとき、くい入るようにみる子どもや、「気持ち悪い」と目をそむける子どもなど、さまざまな反応があった。(雁部)
○ソンス ぼくは、ころす方もざんこくだと思うけど、食べる方もざんこくだと思います。……生き物を食べ物にしたり、ランドセルやくつにしてしまう人間は、とてもざんこくな人だと思います。
○誠 朝鮮学校の人が、ざんこくと言っていたけれど、ぼくは、豚をころす人はざんこくではないと思います。なぜかというと、豚をころす人はちゃんと仕事をしているから、ぼくはざんこくではないと思います。そして、気持ちわるいと言う人がいます。ぼくが気持ちわるいと言うと、ぼくも豚を食べないことになります。
子どもたちは、豚の内臓がソーセージになることを初めて知り、勉強になったと喜んでいた反面、「生き物は大切に」と思う朝鮮学校の子どもの口から出る言葉は、「ざんこく」「豚がかわいそう」だった。朝鮮学校の子どもは、今みたビデオと我々の食生活においての豚を同一視して考えなかったし、考えられなかったのだろう。一方、木下川の子どもたちは、「私達が生きていくには、仕方のないことだ」と、身近な問題ととらえ考える姿に、何人かの朝鮮学校の子どもは、自分たちとの考えの差にはっとしたに違いない。(朴)
皮革工場の見学とその感想をめぐって
合同学習も、いよいよ「革はどうやってつくるのか」、皮革工場の見学だ。地元を案内する木下川小の3人は、先にたって自信ありげだった。豚の生皮から美しくしなやかな革にしていく工程を、子どもたちは驚いたり、質問したりして、見学した。最後に、きれいにできあがった豚革を何枚ももらって、ほくほくして帰ってきた。皮革工場見学の感想をつぎの合同学習の前に読んでいた。
○オンミ あつさをそろえる人も、形をととのえる人も、それだけの技術がないとできないと思いました。
○ユヒャン 豚の革一枚作るのに、あんなにもいろいろな人の手がかかっているのがわかったので、これからは革でできたものは大切に使おうと思います。皮工場で働いている人の顔も忘れません。
○ヨンギ 今日は、豚の革工場を見学しに行きました。どうしてくさいのにはきそうにならないのか、工場にいる人たちは、鼻がつまっているのか。だけど、豚の革をもらってうれしかった。……こんど行ったら、工場にあるいろんな革をもらいたい。……どうせなら、ワニやトカゲや牛やアザラシの革もあったらいいのに。
木下川の3人は、ヨンギさんの文、「はきそうにならないのか」や「鼻がつまっているのか」は、ひどい!においがあるのはあたりまえなのに。それなのに「革がほしい」というのはおかしい。「どうせならほかの革もあったらいいのに」は、よくばりすぎる。この工場では豚革をつくっているのに!仕事で、いい革にしようと一生懸命つくっているのに!と、怒って勢い込んでいた。(雁部)
朝鮮学校の子どもたちは、工場の人からもらった革を、何度もみ、オモニにあげるんだと大喜びして帰っていった。そのなかに、ヨンギの姿もあった。ヨンギの文を読んで、私もヨンギらしい文と思わず笑ってしまった。ヨンギはにおいに敏感で、何かにつけてにおいをかぐ。においをかぎ、「くさい」といっている姿が目に浮かんだからだ。クラスの子どももまた、「ヨンギ~」といいながら、その感想文をみて大笑いした。 しかし、雁部先生の反応は違っていた。道端で偶然雁部先生とお会いしたとき、雁部先生はヨンギの文を私に差し出した。私は、「あ~、ヨンギの」といいながら笑ってしまったが、そのときの先生は真剣そのものであった。私はそのときはっとした。学校でも家でもそのことが頭を離れなかった。私と子どもたちが、笑ったことはいけないことだったのだろうか。ヨンギは、ウケをねらってこの文を書いたのだろうか、それとも、本当に疑問に思ったことを素直に書いただけなのだろうか。私も、わからなくなってしまい悩んでしまった。私自身のこたえも出せないまま、ヨンギの文をめぐっての話しあいが始まった。 雁部先生が、「ヨンギの文を読んで、木下川の子どもたちはものすごく怒っていました」と、おっしゃった。私は、そのとき、ヨンギではなく、ヨンギの文をみて笑った私を、木下川の子どもたちは怒っているような気がした。そして、朝鮮学校の子どもは、それに対しどんな反応をするのか、みている私の方がドキドキした。張本人のヨンギは、苦笑いするだけで、何の反論もしなかったが、クラスの子どもたちは、「冗談で書いたんだよ」といい、笑い声さえきこえた。雁部先生が、「これは、工場の人をばかにした言葉じゃないの」とたずねてみても、真剣に考える姿はみられず、「だって~」といういいわけが返ってきた。その姿をみて、私は初めて、これはたいへんなことだと思った。ヨンギが書いた文、私たちが笑った文は、どんなに人を傷つける言葉か、人をばかにした言葉なのか、木下川の子どもを前にしなければ、わからなかった。クラスのなかでも、「それはいけない言葉なんだ」と指摘した子どもはいたが、冗談で書いたことに対してムキに怒る方がおかしいと、相手の立場を考えた言動がまるっきりなかった。(朴)
本当のことをいうのが友だち(朴)
私は、つぎの話しあいのときには、是非木下川の子どもたちの考えをきいてみたいと思った。それは、いつも穏やかなあの子どもたちを怒らせた朝鮮学校の子どもの軽はずみな態度をもう一度認識させると共に、この子どもたちは、こういう侮辱的な言葉を発せられるのが、初めてではないと感じ取ったからだ。工場の人をばかにした言葉を書いたという怒りをその心の奥底に秘めていても、それを口には出せず、プリントで顔をかくしたり、じっと黙ったまま下をみている木下川の子どもたちをみて、私は胸が痛んだ。この子どもたちをこんなに傷つけさせたのは、私であり、また私のクラスの子どもだったから。 しかし、私はいい返せないでいた木下川の子どもたちのやさしさと紙一重ともなる弱さは絶対にいけないと思った。せっかく友だちになった子どもの前で、自分の感情をあらわさなければ、これからずっと「自分」を出せず、「自分」というものを見失ってしまうのではなかろうか。そう思うと、口調がだんだんときつくなってきた。私自身が、生徒のときに、スクールバスを降りたとたん、「朝鮮人だろう」と、いきなりぶたれたこと、「チョン、チョン」とからかわれたことがあった。それらのできごとでもっともくやしかったのは、自分がいい返せなかったことだったのだ。 私は、誠さんに「なぜヨンギの文に怒っていたのにいわなかったの?」と問うた。「そんなこといったら遊んでもらえないと思ったから。」ヨンギがいちばんの仲良しだったのだ。朝鮮学校の子どもからは「そんなことないよ」と、声があがる。私は、「友だちと思ってくれるなら、いってほしかった。みんなも先生もわからないのだから」「いわないのは、あなたたちのやさしさだけど、弱さでもある。朝鮮学校にもあなたたちと同じ気持ちの子はいたのだから」と話した。 誠さんはこのあと、「ぼくのおばあちゃんは、皮革工場の仕事をやっているので……こんど友だちに皮革工場のもんくをいわれたら、いい返します」と書いてきていた。
「におい」をめぐって(雁部)
私は、問いかけた。「以前に朝鮮学校の前を通った他校の三年生が『キムチくさい』といっていました。みなさんは『キムチくさい』といわれたらどう思いますか」と。つぎつぎと率直な反発の意見が出された。「朝鮮の食べ物なのに」「日本人だって食べているのに」「言い返す」。「におい」に寄せた民族への差別だと話は進んでいった。そして、父母や祖父母のうけた、民族差別の内容が少しずつ語られていった。はっと、顔色を変えた子どもが何人もいた。朝鮮の子どもたちは、「皮革工場はくさい」といわれる木下川の子どもたちと、「キムチくさい」といわれる自分たちの気持ちとが重なることに気づいたのだった。
○リサ お父さんから聞いた話によると、昔、ひっこしするために家をさがしているときに、朝鮮人だからというりゆうで、部屋をかしてくれなかったことがあったそうです。それが、私はさべつだと思います。なぜ朝鮮人はさべつをうけるんでしょうか?
○ヨンジェ 私は朝鮮人だから、朝鮮料理を食べるのは、いけないことではないと思います。日本人だって、朝鮮料理を食べるのに、だからけちをつけるのはよくないと思います。皮革工場に行った時のことです。きたばかりの皮を見て、「くさい、くさい」と言って、できた革は「ほしい、ほしい」と言うのは、自分のつごうがよすぎます。そうけちをつけといて、「ほしい、ほしい」と言うのは、へんだと思います。
と畜の仕事の話を聞く(雁部)
「皮革工場の原料になる豚皮はどこからくるのか」という課題に進んだ。朝鮮学校の子どもたちの保護者の多くが、焼き肉、飲み屋など、肉や内臓を扱う仕事だ。皮革工場の皮も、と畜という仕事なしには、ありえない。朴さんと私は、と畜の仕事について、子どもたちが「わたしたちのために」「がまんして」「人のいやがる仕事」としてとらえていることに、問題を感じていた。どの仕事にも技や誇りがある。そこで生き生き仕事をしている姿を子どもたちに知らせたいと思った。と場の見学は無理ということで、と畜現場で働く人に教室にきてもらい、子どもたちの質問にこたえ、と畜の仕事内容や思い、と畜をする人への差別問題について話をしてもらった。「と畜することは、『活かす』ことなのだ。すべてに命がある。人間は命をもらって生きている。自分のやっている仕事が人々の暮らしを成りたたせ、よい製品をつくる技術が自分たちの誇りだ」との話は、子どもたちの心に深くひびいていった。
○ヤンテ 人びとのためにはたらくということが、すばらしいと思った。ぼくもそういう人になるよう、べんきょうしてはたらきたいと思いました。
○健司 しごとのはなしで、ばかにされていいかえせるからつよいなと思いました。ぼくもそんなふうにいいかえせる人に なりたいです。
発表会をしよう(雁部)
これまで学習してきたなかで、いくつか課題が出てきた。それらを調べ、発表会をひらくことにした。木下川小学校の3人から発表。資料を調べ、皮革工場を一軒一軒まわり、話をきいてきた内容で、はっきりした声で発表した。自分たちでやりとげたという自信が、この子どもたちを変えたのだと実感した。朝鮮学校の発表の内容もすばらしかった。とくに、「なぜ、わたしたちは日本にいるのか」「朝鮮人への差別はあるのか」は、調べる過程で子どもたち自身が、怒りや悲しみを持ちながら進めたのだろうと思った。
○ソンジン 「よくやったな」一番さいごのぼくたちの番をおわると、ぼくはこう思いました。(一番さいしょの時は、みんな木下川の3年生と話せなかったのに、今はすごくなかよくしている。)さいしょの時から、よく勉強してよくやったなと思いました。
○エミ 「第一回目から今日までの気持ち」一回目は「ざんこくー、キモワルー」なんて言っていたのに、一回目から三回目までのわたしは、ずるいことに気がつきました。(今のわたしははんたいなのに)すごく(ごめんなさい)の気持ちでいっぱいです。今日、合同発表会をして、自分の心をあらためて知ることができてすごくうれしいです。
○明子 朝鮮学校の発表で、「なぜわたしたちは日本にいるのか」で、わたしは、(日本人はひどいことをしたな)と、思いました。……私は、この勉強の中で一番まなんだ勉強は、朝鮮人へのさべつです。もし、私が朝鮮の人だったら、(なんでさべつするんだろう)と思います。……さいごには意見が言えてよかったです。
まとめにかえて(朴)
まとめの発表会では、お互いの知らない部分を探し、よく調べたと思う。朝鮮の子どもも、一つずつ段階を経て、深く話しあいをしたお蔭で、「これだ」というこたえを得ることができた。それが大いに自信につながったにちがいない。 私たちは、朝鮮人差別に対しては、敏感にとらえ、立ち向かっていく勇気はある。しかし、自分が差別的な言葉を発して、人を傷つけているということには、全然気づかないでいる。木下川の子どもとの話しあいを通して、「自分」というものを、見つめ直すことができた。 子どもたちは、日本における朝鮮人差別をさけて通れない、身近なこととして感じとったに違いない。さまざまな差別をこれからうける子どもたちかもしれない。だが、そんなものにもくじけず、朝鮮人としての誇りを持って生きていって欲しい。そして、木下川の子どもたちが教えてくれた優しさを持ちながら、日本の社会でがんばってほしいと思った。