まちの歴史
昔はここは「木毛河」とか「木毛川」と呼ばれていました。
1398年(応永5年)頃の書きものには「上木毛河」「下木毛川」の文字が出ています。
上木下川村は、今の京成八広駅の周りから荒川をはさんで向こう岸のところで、下木下川村は、今の東墨田1.2.3丁目になっているあたりです。
木下川村大荒田と言われていたこの地域が明治になって南葛飾郡に入れられて、東京府南葛飾郡大木村となって そしてさらに1914年(大正3年)には大木村から向島吾嬬町というふうに名前が変わりました。
今のように東墨田になったのは1966年(昭和41年)からです。
木下川の町に皮革工場ができたのは、明治の中頃で、浅草から移されたことに始まります。昭和の初めには、再び移転を迫られますが、住民の力で押し返し、全国の豚皮の8~9割をなめす木下川の町が現在に引き継がれています。