1937(昭和12)年4月、東京市向島木下川尋常小学校として開校します。学級数21、児童数1026名で出発しました。地域では、3年前に皮革関連工場が57社あったのが、91社に増えています。この年には盧溝橋事件が起こり日中戦争も深刻化していく時代でした。皮革産業が栄え、そこに関わる労働者も増え学校が創立されました。地域から多くの寄付を集め、当時としては町の人の誇りとされた学校も、1945年の東京大空襲でほぼすべてが燃えてしまいました。
戦後も地域の皮革関連産業と学校は、深い関わりを持ち続けてきました。1972年には、東京都学力水準向上事業指定校となり、2003年の閉校まで東京都が進める人権教育に取り組んできました。豚皮で作る太鼓や子どもと一緒に取り組む皮なめしの実践など、全国から大きな評価を受けました。また、地域から絵本「よみがえった黒ベえ」や「山の粥」が作られそれが劇になって表現もされました。その後、なめし技術の機械化や皮革なめしの多くが東南アジアに移されていく中で、学校の児童数もどんどん少なくなり2003年3月をもって木下川小学校は、66年の歴史を持って閉じることになりました。
その後、資料室に木下川小学校が全国に提起してきたことー皮革なめし関連産業がどんな技と労働によって皮から革に変えているのか、地域にある油脂産業は、私たちの生活にどんなふうに関わっているのかを知るーを資料室内に位置付け続けています。